主人亡きことも知らず、渋谷の改札口で十年以上も待ち続けた主人思いの犬として銅像にもなっている「忠犬ハチ公」。
その姿を見るたびに”じぃ〜ん“と胸に込み上げ、深い親しみが湧いてくるのはなぜだろうか……。それはもの云わぬハチ公の純真さへの共鳴であり憧憬であろうか、それは犬であるが故の親しみと飼い主に対する忠実さ、純粋さが私たちの心、世界の人々の心をうつからなのでしょう。
人々に生き方の純粋さを問いかけながら今も語り継がれる「忠犬ハチ公」。 その忠犬ハチ公の物語りを紹介しましょう…………。
ハチ公は大正十二年十一月、秋田県大館市大子内の斉藤義一宅で生まれ、生後まもなく東京帝国大学農学部教授の上野英三郎博士のもとに送られ、その名を「ハチ」と呼ばれる。
愛情いっぱいの博士のもとでハチは立派に成長し、渋谷駅への送り迎いは日課となっていた。しかし大正十四年五月、博士は大学で突然脳溢血に倒れ急逝するのである。ハチは人が死ぬということを理解できず、博士が死んだあともいつもの場所・渋谷駅改札口でただひたすら、可愛がってくれた主人のぬくもりやにおいを求め九年十ヵ月の間待ち続けるのである。
この改札口で待っていれば、やさしい上野博士がきっとその姿を見せてくれるだろうとハチはそう信じていたのだろうか………こうして雨の日も風の日も立ち尽くすハチ公の姿を、いつしか人々は「忠犬ハチ公」と呼ぶようになるのである。
その間、朝日新聞に”いとしや老犬物語・今は亡き主人の帰りを待ちかねる七年間”の記事がきっかけで、ハチ公の純情さが一躍国内外の話題となり、昭和九年四月にハチ公銅像が渋谷駅改札口前に建立、除幕式には主役であるハチ公も参列しております。
そしてその一年後の昭和十年三月早朝、渋谷三丁目の路地で朝露にぬれおだやかな顔をした動かぬハチ公を発見するのである。
死因は持病だったフェラリア(心臓糸虫病)の悪化による老衰で十二才(人間だと90才)だった。 ハチ公は、生前溢れるような愛情に満ちた日々を送った主人上野博士の眠る青山墓地の墓畔に葬られ、その愛すべき十二年の生涯を閉じている。
「忠犬ハチ公」楽譜発見、62年ぶりに日の目
この新聞切り抜きは、平成十一年十月九日の東京新聞朝刊に掲載された「忠犬ハチ公」の歌発見の記事である。
まずはこの歌を聴いてください。唄っている人は地元の声楽家藤盛紀佐子さんです。
唱歌 「忠犬ハチ公」 小田島樹人作曲
小野 進 作詞
一 逝きしあるじと
知らずて待ちし
尊き心
銅像かねにぞのこる
学まなべや人々
その魂たましいを
二 あるじの恩おん
忘れぬ忠犬
天地と共に
永遠とわにぞ朽ちぬ
仰あおげや人々
その俤おもかげを
三 富士と桜と
ハチ公こそは
日の丸かざす
吾等われらの誇り
讃たたえへよ人々
御み国の寳たから
この歌の発見者は、大館市の大館まちづくり協議会理事で忠犬ハチ公銅像及び秋田犬群像維持会会員の千葉 雄氏で、ハチ公資料の整理から、むかし「忠犬ハチ公」の歌が唄われていたことを知り、この歌を知る人捜しと文献を調査した結果、唄われた実績はなかったものの、大館市中央図書館にある文献「忠犬ハチ公頌賦しょうふ」小野 進すすみ 著の見開きに譜面と歌詞が並べられていたのを発見する。
この歌を作った人は「おもちゃのマ−チ」などを作曲している小田島樹人氏(1885〜1959)、作詞は旧制大館中学校(現大館鳳鳴高校)、秋田師範(現秋田大学)の博物学教師小野 進氏(S28年没)である。 この曲は快活なテンポの曲調で、素朴で優しい大変親しみのもてる覚えやすい歌で、「このまま埋もれた儘にしたくなかったし、最近はこうした素朴さが失われて行く傾向が強い世の中には、むしろ必要なことで、こうした唱歌は貴重な存在として残すのが私たちの務めの一つかもしれないと思います…」とは発見者の弁………。
どうぞこの無垢ともいうべき唱歌「忠犬ハチ公」を、ハチ公同様いつまでも愛され、みなさんで口ずさんでいただければと思います。
忠犬ハチ公のふるさと大館市より心を込めて………
みなさまが心の「故郷」と感じる北の街、人と素朴な田園風景が…
ハチ公の生まれた大館に一度お出かけ下さい、
きっとハチ公が待ってるかもね…………!
羽田から大館能代空港(あきた北空港)まで1時間10分です…!